全体最適について
『全体最適』という考え方があります。
全体最適は、一部分の利益ではなく、組織・システム全体として、利益があるかどうかを重視する思考プロセスです。
例えば戦争中の病院などで食料は医者に優先的に割り当てられます。
医者が倒れてしまったら、次々と運ばれる患者の治療をするひとが誰もいなくなるからです。
学生の間はあまり馴染みがないかもしれません。
しかし社会人になり組織に属するようになると、自分の属する課のことばかり考えている人は『身勝手』と思われ、組織全体のことを考えている人の方が『視野が広い』と評価を受けます。
しかしこの『全体最適』という考え方は、各個人がいつも平等に利益を得られるかというとそうではないんですね。
つまり、『全体最適』のために今年はこの部署の予算はこれぐらいでいいね、と言われ予算を減らされる。
しかし人事異動があり、別の部署に異動したら今度の部署も『全体最適』のために予算を減らされる部署だった。
その逆もまたしかり。
『いつも得をしている人』と『いつも我慢ばかりさせられる人』が分かれる可能性があるんです。
そうすると、その『いつも得をしている人』にとって『全体最適』という言葉は良い意味になり、素晴らしい考え方だと言ってどんどん推奨するでしょう。
しかし『いつも我慢ばかりさせられる人』にとって『全体最適』という言葉は受け入れがたい考え方であるはずです。
特に日本は『和をもって貴(とうと)しとなす』という言葉もあり、個々を犠牲にして全体のために奉仕することが貴いという考え方が昔からあります。
こういった考え方もあって、日本人は西洋人のように全体のことを考えず個人の意見を強く主張する人はあまりいません。
『全体最適』であるべきことと、個人の利益は全くの別問題なのです。
☆ ☆ ☆
で問題はここからなんですが。
企業という組織はほぼほぼ、トップと出世街道にのっている人=『いつも得をしている人』になりやすく、
平社員またそれ以下の派遣社員、請負は『いつも我慢ばかりさせられる人』になりやすいです。
たまーにそちらからそちらへ移動するつわものも中にはいるかもしれませんが、ほぼ固定されています。
目立つ仕事、金額が大きい安定した大企業案件は『出世街道にのっている人』に割り当てられ、めんどくさい仕事、手間がかかる割に金額も小さく大した仕事をしていないと思われる仕事は『平社員』、『派遣社員』などに割り振られます。
そこで個人が自分の利益を強く主張するとどうなるでしょう。
その組織には居づらくなりますね。
ただの自分勝手な人という印象にしかなりません。
これが組織というものの実態です。
このピラミッド形をした組織はどうしても個人の利益は後回しにされがちです。
というか、実のところまったく考えられていません。
ところが、実際問題『組織』というものは個人が働くことによって成り立っており、個人無くしては何の働きもできないのです。
ここに、大きな矛盾があります。
宇宙和香は実際すべての労働者は組織に属さず、個人事業主になったらいいと思います。
そうすれば自分で自分のやりたい仕事は選べます。
魅力のない仕事は当然やりたがる人が少なくなるので、やり方を変えたり、単価を変えたりする工夫をする必要があります。
それでもやる人がいなくなればその仕事は自然と消滅します。
もちろん、『全体最適』のために、一時的に誰もやりたがらない仕事をやることも可能です。
ただし、それが毎回毎回固定されて続くということはありません。
今回は我慢したけど、もうやりたくないから次回以降はやらないと選択することもできます。
新卒でいきなり個人事業主になるのはスキルの問題で難しいかもしれませんが、5年間など固定して組織で働き、スキルを身に付けたら自分で独立する。
そんな社会になればそれぞれ個人が仕事を楽しく社会全体で続けていくことができると思います。
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