インディアスの破壊についての簡潔な報告
こんにちは。宇宙和香です。
今回は久しぶりに本を読んだので感想を書きます。
本のタイトルは『インディアスの破壊についての簡潔な報告』というスペイン人の司祭ラス・カサスが書いた本です。
世界史の教科書の片隅に一文だけ書いてある言葉が実際はこうだったというお話です。
もう、一言で言ってしまえば新大陸を発見したスペイン人が、原住民であるインディアンにひたすら虐殺を行ったというお話です。
本としては227ページと、そんなに分量が多いわけではないのですが、とにかく内容がえぐいため読み進めるのがしんどかったです。
一般的なキリスト教徒のイメージはどのようなものでしょうか。
何しろ地球では一番信じている人の多い宗教ですからね。
『だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。』
マタイによる福音書5章39節 新共同訳
などイエスの有名な言葉もありますし、よく路上生活者の方に炊き出しなどを行っているので弱者にやさしいイメージでしょうか。
ちなみに現在はさもヨーロッパの宗教のようになっていますが、別にキリスト教はヨーロッパだけの宗教じゃありません。
ユダヤ教徒だったイエス・キリストの教えを弟子たちが広めて始まったのがキリスト教なので中東由来なんですよね。
ま、それはさておき、そんなキリスト教のイメージが根底から覆ってしまう本になります。
なので、キリスト教のイメージを変えたくない人はこれから先は読まない方が良いです。
あと、気分が悪くなる表現があるので、そういったことを読みたくない気分の人も読まないでください。
☆ ☆ ☆ ☆
時は16世紀、大航海時代。
その当時、北米・南米大陸では多くの国が栄え、人々が仲良く幸せに暮らしていました。
そこへやってきたのがスペイン人です。
彼らがやって来た理由は表向きは『キリスト教の布教』です。
当時のカトリック教皇より上記の理由から新大陸へ行く許可を得ています。
インディオたちはスペイン人に心の底から優しくもてなし、食事を与えて世話をしました。
その彼らに対し血も涙もなく容赦なく殺害します。
殺し方も常軌を逸しています。
生きたまま火あぶり、どう猛な犬をけしかけて食い散らかせる。
隙間もないくらい家の中に押し込み火をつける。
何百万というインディオを一人残らず殺してしまいます。
かろうじて生き延びても奴隷となります。
食事もろくに与えないため、すぐに死んでしまいます。
インディオを連れて歩いている時にインディオが倒れて死ぬと、足枷を取るのが面倒で首ごと刈り取ってしまいます。
もっともひどいのは、食事を与えないためお互いを殺しあうようにし、人肉で食事をしていたという記述です。
この無法者がいつも用いた手口は以下のとおりである。
彼はどこかの村や地方を攻撃しに行く時、同士討ちをさせるために、すでに降伏してスペイン人に従っていたインディオをできるだけ大勢、連行した。そして、彼は連行したおよそ一万人か二万人のインディオには食事などを与えず、その代わり、彼ら自身が捉えた敵側のインディオを食するのを許した。そういうわけで、その無法者の陣営には、人肉解体処理場のようなものがあり、そこでは、彼の立会いのもと、子どもは殺されて焼かれ、また大人は殺されて、手足を切断された。人体の中で手足がもっとも美味だと考えられていたからである。別の地域に住むインディオはみな、人間業とは思えないその非道な行為を耳にして、あまりの恐ろしさに、どこに身を隠せばいいのか分からなくなった。
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 ラス・カサス著
いや~もうやることが完全に人間じゃないですね。
現地の豊かな財宝を根こそぎ盗み自分のもうけにしてしまいます。
もう本当に読んでいてしんどかったです。
でも何でこんなにやられるがままなんでしょう?
少しは反撃とかできなかったのかな、と思うのですが。
どうもスペイン人とインディオは体格差がかなりあったようです。
インディオはとても華奢で小さかったようです。
また、みんなで仲良く暮らしていたため、武器を持っていなかったということもあるようです。
とても親切で人を疑うということをしなかったようです。
この時役人たちは何をしていたかというと・・。
今日までずっと、インディアスにおいて司法を管轄する役人がこぞって無知蒙昧で、インディアスにいるすべての無法者が以前同様現在も行ないつづけている犯罪や破壊や虐殺についてまったく調べようともせず、ただ誰某がインディオに残忍な仕打ちを加えたため、陛下は何千カステリャーノの収入を失われた、といった類の報告だけでこと足れりとしているからである。
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 ラス・カサス著
彼らを止めることはできなかったようです。
この本を読んでいて感じるのはその加害性の強さですね。
なぜ、同じ人間が同じ人間に対してこんなにも残虐になれるのか。
それは彼らの価値観の違いにあります。
気候が温暖で様々な種類の穀物が取れる日本と違い、日照時間の短いヨーロッパでは取れる食べ物の種類に限りがあり農耕よりも牧畜がメインとなります。
そのため、動物を殺すことに罪悪感を抱かずに済むように動物は神様が私たちのために与えて下さった食べ物と宗教がお墨付きを与えているのです。
しかし、その動物というもののなかに恐ろしいことに有色人種も当時の常識では入っていたのです。
確かに、私たちだって自分たちが食べる動物の気持ちなんて特に考えませんよね?
食事をするときにこの動物はどんな気持ちで死んだのかな~なんて考えながら食べる人はいませんよね。
それと同じことです。
とにかく、中世のヨーロッパは大変貧しく、人から略奪することも生きていくためには必要と考えられていたようです。
そのぐらい厳しい世界だったようです。
ちょっと日本人の感覚からすると想像つきませんね。。
日本は自然豊かで『八百万の神』といってすべてのものには神が宿っていると考えられ、もちろん動物にも神がいると信じ、明治時代になるまではほとんどの庶民は肉食はしませんでした。
この本を読むと、その後の世界史の流れがよく分かります。
何故黒人差別があるのか。
結局先住民を徹底的に虐殺してしまい、労働力が不足し、そのためアフリカ大陸から黒人を連れてくることになってしまったようです。
もとから徹底的に搾取するという発想のため、黒人もひどい扱いを受けます。
悲しい歴史ですね。
ちょっと虐殺のことだけ書いてしまいましたが、もちろん修道士の中にはインディオへの宣教のため彼らを守って殉職した聖職者もいたようです。
また、ただ虐殺のみで死亡したのか、というのには疑問が残り、実際はスペイン人が持ち込んだ病気(天然痘、麻疹、チフス、インフルエンザなど)によって免疫を持たなかったインディオの社会が壊滅的な打撃を受けたという事実もあります。
この本を記したラス・カサスはこの本がその後イギリスとスペインの覇権争いに発展した際、反スペインのプロパガンダに利用されてしまったため、本国では評価が低いようです。
当時の意識はキリスト教徒 対 異教徒 であり、彼らを①野蛮人なのでもとから奴隷なのか ②子どもと同じでキリスト教の教育が足りないから教育すればよいのか ③スペイン人と同等の理性人なのかという疑問に対してスペインに帰国後、当代随一のアリストテレス学者といわれたセプルベダと論戦を繰り広げました。
現代人の目からすれば③理性人なのは当然なのだが、当時の価値観からするとかなり先進的、人道的な見方で、このような考え方ができるラスカサスのような人間が逆に存在したということはすごいことだと思います。
もう一つ私の中で引っかかったのは、こういったことがラスカサスが滞在した40~50年行われていたという記述があることです。
40~50年というとちょうど私の人生の間全てこうだったということです。(ひーっ!恐ろしい!)
この時代にこの場所に生を受けるというのは過酷な運命を受け入れた勇敢な魂の人が多かったんでしょうね。
気になったらぜひ本を読んでみて下さい。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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