英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人
こんにちは。宇宙和香です。
デリク・クラークさんという英国人捕虜だった方が書いた『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』という本を読みました。
東京の大田区平和島に昔戦時中捕虜を収容する『日本軍捕虜収容所』があったのです。
今はそこにはもう跡形もありませんが、偶然そういう場所があったということを知り、興味を持ちました。
ちょうど埋め立て地があったため、陸地をつなぐのは一本の細い橋しかなく、捕虜を隔離しやすい場所だったため建てられたようです。
デリク・クラークさんはまだとても若く(終戦時23歳)、世界中を冒険したいと陸軍に入隊しましたが激戦のシンガポールで捕虜となり、台湾を経由して日本に来ました。
台湾では病気にかかり大変つらい思いをしたようです。(詳細は割愛します。興味のある方は本を読んでみて下さい。)
しかし絵を描く才能があったことから、日本軍の目に留まり日本に連れてこられたようです。
最初はとても痩せて細かったクラークさんも日本での生活に慣れて少しずつ体力がついてきたようです。
体調が戻ると労働に駆り出されるのですが、食糧事情の厳しい当時はあの手この手で食べ物を盗みます。
でも日本軍の検査があるので普通にポケットなどに入れたらすぐばれてしまいます。
そのため靴の中に隠したり、空の袋を持って検査に並び、トイレで鮭缶の入った袋と交換してまた別の人間が
空の袋を持って検査を受けるなどあの手この手ですり抜けて食料を手に入れます。
本を読んでいると当時の捕虜たちの生活が目に浮かぶようです。
(所々にクラークさんの実際の当時の様子を描いた挿絵があります。)
読んでいて感じたのは捕虜と言っても意外とたくましいことです。
収容所の食事だけではもちろん足りないので、いろいろなところから食料を調達するのですが、その姿がとてもたくましい!
なんか生きる気力を感じるというか。
隅田川での鉄道貨物の作業ではココナッツを盗み食べ44kgだった体重が70kgまで太ったようです。
戦争時の食糧難で太るってなかな凄いことですよね!
捕虜収容所では数少ない楽しみの一つに演劇があったようです。
クリスマスに捕虜たちで『シンデレラ』を演じ、日本人の職員も家族を呼んで観劇し大好評だったようです。
この劇が本格的になったのは、捕虜を虐めて有名だった渡邊軍曹が意外にも映画会社の大映から本格的な衣装を借りてきてくれたからのようです。
クラークさんはあんな素晴らしい『シンデレラ』は先にも後にもこの時だけだったと語っています。
またクリスマスには他の楽しみもありました。
赤十字の慰問箱が届くのです。
赤十字って病院のイメージですが、そんな昔に戦争時に兵隊へ慰問箱を送っていたんですね。
中にはタバコ、レーズン、プルーン、角砂糖、チョコレートなど当時はなかなか手に入らないいろいろなものが詰められていました。
捕虜たちは慰問箱を配られると大変喜んで、それぞれで交換しあったりして楽しんだようです。
ま、ちょっといいことばかり書いてしまいましたが、当然捕虜ですからつらいこともたくさんあります。
捕虜を管理する兵士には良い人も悪い人もおり、当然悪い人は捕虜たちにひどい扱いをします。
またハエや南京虫や、ダニの大量発生。
B29の空襲は捕虜たちも襲い、川崎では大きな被害が出たようです。
また、先ほど話した”渡邊軍曹”は情緒不安定で、優しい時と、捕虜たちに暴力をふるう時と両極端だったようです。
なんか、そういう人って現代にもいますよね。。
もちろん著者のクラークさんも日本人のことを”ジャップ”と蔑称で呼んでいるし、当然つらい思いをたくさんしたようですから日本人に対する好意的な感情はあまりないのでしょう。
でもそのことがかえってこの本に出てくる日本人の優しさが本物だったと感じさせてくれます。
クラークさんは戦争が終わった後、本当に世界一周して母国のイギリスへ帰り、画家として暮らし、2000年に他界されたようです。
本にはクラークさんが描いた当時の様子が所々に書かれていて面白いです。
もちろん原文は英語ですが、日本語の翻訳もとても自然で読みやすかったです。
ぜひ、興味があったら読んでみて下さい♪
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